4才の時と小学三年生のときに入院をしました。そのときに将来は医者になりたいと思っていました。子供のころから医者のTVドラマは好きでよく見ていました。今でもよく見ます。
小学二年生のときに「サーキットの狼」がはやり、スーパーカーブームがおきました。スーパーカーの絵が印刷されたコカコーラの王冠を集めてました。
高校三年生のときに鈴鹿にF-1グランプリがやってきました。翌年からサーキットに観戦しに行くようになりました。レースの雑誌を買い、ビデオレンタルで借り、昔のレースやあらゆるカテゴリーのレースを見ました。そこで、レースの舞台裏や技術を知ります。名前を聞いているだけで、それが具体的にどんな技術なのかは解りません。でも、レースの世界で聞いた名前が数年後に市販車の中でも聞こえてくるとすごくワクワクしました。自動車レースって、ドライバーの力量がほとんどだと思っていたけど、裏方の力もかなりのウエイトがあることを知りました。
ある時、思い出しました。子供の頃に父が富士スピードウェイで開催されていたF-1をTVで見ているのを、自分も横に座ってみていたことを・・・。父はマラソンをよくテレビで見ていました。当時、「ただ人が走っているのを見ていて何が面白いんだろう」と思っていましたが、ただ走っているレースカーを見ていました。でも、マラソンと違ってひきつけられるものがあったのでしょう。その後も何度かTVで自動車レースを見ていました。F-2、グラチャン、名前だけは覚えています。
高校生のときに何の会話でそうなったかは覚えていませんが、母親に「ガソリンスタンドは僕がやらなきゃいけないんだ」と宣言しました。その後大学受験に失敗し、自動的に会社に入りました。入社した当初はスタンドの仕事のみをやっていました。給油に洗車、オイルやタイヤやバッテリー交換、ヘッドライトやブレーキの電球交換など、当たり前ですがバッテリーを変えればエンジンはかかります。電球を変えれば電気は灯ります。故障した部品を交換して動き出すのが楽しくてしょうがなかった。特にタイヤ交換は、交換前と交換後でハンドリングが軽くなり、交換の効果が体感できるから面白かった。
そして、ある時からガスの仕事もするようになりました。やっているうちにガスの仕事のほうが面白くなって、ウエイトは大きくなっていきました。コンロを取り替えて明るくなったキッチン、給湯器を取り替えてお湯が出るようになる。当たり前なんだけど、この変化が楽しかった。はじめは工事屋さんに頼んでいた仕事も、見て覚えて自分でやるようになりました。時が経つと、自分が設置した器具に故障が出始めました。
自分で設置した器具には思いいれもあり、自分の手で何とかしたいと思い、修理も自分で行うようになりました。動かなくなった器具が修理をすることで動き出すのが快感でたまりませんでした。